79歳で創造学園高等学校東京校通信制を卒業して(平成29年3月)

8年前に右大腿頸部骨折で手術をしました。主人も亡くなっていまして更にリューマチにも罹りました。通院途次に創造学園を見ました。「この年になって」とも思いましたが、「人生一生勉強」と思い、入学しました。甥に分からない所を聞きますと「これは教えてあげたでしょう。」と言われますが、すぐ忘れてしまいます。何度も繰り返し勉強しました。

瀬戸内海の美しい海に近い所に住んでいましたが、私は子供の頃体が弱くてあまり通えませんでした。当時、高校進学者は10人中3名くらい、大学進学者は300人中10名くらいでした。小学校4年生の時、手先が器用だったので家庭科の時間に先生から「池坊大学に進み家庭科の先生になりなさい。」と勧められました。しかし体が弱く治療にお金をかけさせていたので両親に話せませんでした。

東京に出てすぐに盲腸の手術をしました。手術は成功し健康になりました。その後高島屋日本橋店に採用されましたが、立ち通しの日々でしたので、3カ月で退職しました。次に中小企業の事務員になりました。現金のほか手形や小切手を任されましたが簿記ができませんでしたので、夜間の簿記学校に通いました。ほかに和裁、編み物、洋裁、お花、お茶、お琴の稽古にも通いました。会計事務所に勤めていた主人と結婚し、会社には10年ほど勤めました。主人の体の具合が悪かったので義父が群馬県伊香保に家を建てて下さり、転居しました。お花を教えたり編み物の内職をしたりして8年目に息子を授かりました。

息子は3年生から野球をしていましたので、よく東京後楽園に野球を見に行きました。息子の希望もあり上京して生命保険会社に勤め、そこの退職金と独身時代の預金を下ろして小さな家を買いました。生保会社に勤務していた頃仲の良かった友達は4人います。青山大学、宮崎大学、家政大学を出ていました。「星野さん、大妻女子大に行ったら」と言われ、いつも学歴のことが頭にありました。

創造学園高校で先生方、職員の方、生徒さんに大変お世話になりました。3年間は速いものでした。卒業後、放送大学に行き、教科書を見てテレビ・ラジオで勉強しています。4月から時々渋谷学習センターに勉強に行きます。

自然と共に生きることを考え、「明哲保身」~道理に従って行動し、危険を避けて身を守り生きて暮らす、ことの喜びは年齢とともに深まります。加藤シズエ先生は107歳まで絵を描き、「人生幸福論」を書かれました。笹本恒子先生は写真家ですが、97歳で、自分で洋服を縫い、イヤリング・ブローチを作り、身につけて楽しんでいらっしゃいます。「学面不老」~学びて老いず、だと思います。理想と現実は一致しませんでしたが、チャレンジ精神を持ち、忍耐強く努力し、心豊かに感謝しながら、健康に気をつけて、楽しく人生を過ごし生活したいと思います。

創造学園高校は良心的で、先生方は親切に教えて下さいます。月に数回出席するだけで3年間で卒業できます。授業料なども安く、就学支援金も出ます。何歳になっても勉強しようという気持ちのある方は是非入学をお考えください。星野 須磨子(79歳)